「50秒」作品     

Works for "50 seconds"

青木真莉子 Marico Aoki 

「Beautifil poem」2022

今日も生き場所を探して拳は高々と突き上げられる。 「わたしとあなたは違うから、簡単には拒否する事も受け入れる事も出来ないんだ。」 その拳と拳が祝福の挨拶を交わす時、一匹は喜びの歓声をあげ、一羽は仲間を呼び戻す。 美しい詩がそこらじゅうで鳴り響く。

青木陵子 Ryoko Aoki 

「I'm in the dark now」2021-2022

捨てようと思っている絵に「羅生門」のセリフ「わたしは今闇の中にいる」というセリフを言わせながら消しています。闇の中に消えていったものは映像の中で這い上がるように姿を見せます。本当は2分50秒の映像ですが、50秒のところに何かぴったりと区切りがあったのが不思議です。

青崎伸孝 Nobutaka Aozaki 

「Wyckoff Avenue, 10:09 p.m. Oct 13 2022」2022

夜の街はジャズである。道ゆく人の会話の片端、突然のクラクション、雨粒がアスファルトで踊る音、遠くで響き渡るサイレン、通り過ぎたバーから溢れ出る命そのもののような歌声、、、。そうとは知られる事なく夜の街で日々繰り広げられている、誰のためでもない無自覚かつ自発的な「街による即興パフォーマンス」を、路上で撮影したランダムな光のリズムに乗せて表現した作品。

秋吉風人 Futo Akiyoshi 

「Tram」2022

“Tram”は50秒間の「映像作品」ではなく、2021年より作成している絵具そのものを作品化したシリーズの「作品映像」です。

麻生晋佑 Shinsuke Aso 

「My Pandemic Daze」2022

コロナ禍の2020年3月から2022年3月の2年間に自身で撮りためた写真を使って、劇的な日常生活の変化を余儀なくされた時期の記録をビデオ作品として表現した。行き先の見えない日々を手探り状態で進み、精神的なストレスから軽い鬱になったが、家族、友人、インスタグラム上で視覚文化を通してつながった人々によって救われ、精神を回復し、新たな日常生活を築き上げるまでの過渡期の記録。連続する多くの画像がぎこちなく流れる様子は、スマートフォンでフォトアルバムやインスタグラムを閲覧する際のスクロールの動きをコピーしたもの。音楽はアップテンポなYouTube用のフリー素材を加工し、濃い霧の中を紆余曲折しながら歩いているような感覚を表現した。

荒川医 Ei Arakawa 

「ユーミン50周年を50秒で」「Yuming's 50 years as 50 seconds」2022

「自分はまだまだ20秒(年)かあ」ユーミンのキャリアは今年でちょうど50年。彼女の音楽活動を50秒で俯瞰して、(勝手に)自分の身を引き締めます。ネットで拾ったシェパードトーンを添えてみました。

荒木悠 Yu Araki 

「Le Jardinier」2022

ある時、庭を掃除している方に「珍しいものがありますよ」と見せてもらったのがこの浮遊石だった。種も仕掛けもあるのに目が離せないこの現象と、ただただ戯れている様子を切り取った50秒。なお、タイトルの『Le Jardinier』はリュミエール兄弟の『工場の出口』と共に上映された作品名に由来している。

池崎拓也 Takuya Ikezaki 

「Selfie at the Crossroads of the World」2022

娘がM&M’sに行きたいというので、そこに向かう家族でタイムズスクエアの店に行く途中の映像。たまたま自分たちはマスクをなぜかしていたけど(置き去りにされたコロナ時の習慣)、見渡せば誰もマスクしてなくて(別にそんなに気にする方では無いけど)、なぜか自分たちに違和感を覚えて、たまたま撮影した映像です。ある家族が目的地に向けてひたすらセルフィしながら歩くのです。このパンデミックが終わるのか終わらないのかの中途半端な今をお届けします。そして、世界の交差点と呼ばれる場所でたまたま居合わせた世界中の旅行客、それら相手とする仮装した見世物パフォーマーとすれ違い交差しながら(特になにも起こらない)、そんな場所からユーチューバーにもなりたいと思ったことがある家族の肖像的な映像です。

イッタ・ヨダ ITTAH YODA 

「Protoschemos」2018-2022

この映像は、2018年から現在進行形のVR作品の断片を5つランダムに並べたものです。来年予定している美術館個展のインスタレーションのためのスケッチの様な作品と位置付けて見て頂けたら幸いです。

Sound : Protoschemos by Nick Zhu / bod [包家巷]    Special Thanks for VR design to Marta and Tea Strazicic

伊藤存 Zon Ito 

「くみひものトーテム」「Braid Totem」2022

白老の海>にあった軽石>耳のない馬>蛇を捕らえた梟>黄鉄鉱

日比谷公園のクツワムシ>天王寺のカマキリ>青空カラオケ>噴水と行水>跳ね続けるパタスモンキー>PiLのレコード>オランダの静物画>夕涼み>電通ビル>タヌキの水死体>ハブ対マングース>青山のヒキガエル

くみひもの数理

江口悟 Satoru Eguchi 

「Wind」2011-2022

制作途中で形が曖昧なまま放置されているオブジェがスタジオによくある。そんなオブジェを天井から吊るしてみた。たまたま開けてあった窓から風が入ってきてオブジェが左右に、前後に揺れる。訪問者との会話に没頭する間にオブジェの揺れはどんどん加速していく。

岡田理 Shizuka Okada 

Chain」2022

日常と制作が共にあり、家はスタジオでもあり、子供と作りかけのオブジェがあり、細く太く短く長く、つながったり切れたりしながら形になる日もならない日もある毎日を50秒の映像にしてみようと思いました。この日次男はお化けごっこを楽しみ、スタジオには作ってみたものの放置された素焼きの鎖がありました。

片岡純也+岩竹理恵 Junya Kataoka + Rie Iwatake 

「めくり合う本」「Two Books Rotating」2018

2 冊の本がそれぞれ逆に回転している。本がぶつかり重なって通り過ぎるときにお互いにめくりあう。本を手にとるとまずパラパラしたくなる。その視覚的触覚をかたちにし、連続する画像(映像)で見える50秒間に起こる劇的な瞬間を切り取った。

金村修 Osamu Kanemura 

「Mind Upload」

マルクスは商品の物神性について、机が一人で踊り出すことだと説明している。商品は人間が作った物でありながらも、作った人間を支配し、私達はその商品が欲しいのではなく、商品によって私達の欲望が作り出される。コロナ禍直前の東京とニューヨークの姿を撮ったこの作品は、商品が一人で立ち上がり人間に対して欲望を喚起せよと咆哮する姿を撮ったものだ。交換されることで物に価値が見出されるように、人間もまた労働力商品に変容し市場で交換されることで価値が与えられる。都市に人間はいない。商品化された人間や物だけが歩き廻り叫び踊りだす。

KAYA (デボ・アイラース+ケルスティン・ブレチュ) KAYA (Debo Eilers and Kerstin Brätsch)

「Bärenzwinger (50 sec. excerpt) 」2018

KAYAは、ドイツ人画家Kerstin Brätschとアメリカ人彫刻家Debo Eilersのコラボレーションで、2010年に開始されました。KAYAは、架空の具体的な身体として、形式的、絵画的、代謝的な手順を組み合わせ、アイデンティティの制作を行います。「KAYA_YO-NAH YO-HO (healing performance for a sick painting)」は、Bärenzwinger Berlinの3つの熊のケージで行われ、KAYAの「拡張した身体における絵画」という実践を最も極端な形で表現しています。ある種の緊急手術として、霊獣でありシャーマンである熊(Kerstin Brätsch)が、アーティスト・ボディ(Debo Eilers)に擬人化され、看護師/魔女(Kirsten Kilponen)の助けを借りて、特大の「絵画ツール」で「病気の絵画」を治療します。Eilersは「癒しの歌」を発声し、彼の胴体は熊によってアースカラーに落書きのような保護記号が描かれ、最終的にはstick-and-pokeのタトゥーが施される。大量の汗、不動、ブラインド、熊の衣装での演技は、凍結、露出、降伏と対照的である。この3段階、4時間の儀式の残酷な苦しみを通して、リビド的で生物学的なエネルギーの交換が体の間で行われます。その結果、絵画的な力学と彫刻的な力学が衝突し、幻覚的なイメージが生まれる。

Sound: Olin Caprison

窪田隆之 Takayuki Kubota 

「Untitled (Attempts: Five; until the aircraft makes contact with the water)」2016-2022

落ち着く場所を設けず、物事を考えながら、(なんとか)すすんでいくこと。

試み(未遂)=  失敗 ?  /     着地(完遂)=  成功 ? 

COBRA 

「Images that spring」2022

噴水はとても象徴的なもので美しくポーズっているようにも見えます。

小松浩子 Hiroko Komatsu 

「Pradise Panorama」2022

「動物園」とはレクリエーション、あるいは教育を主たる目的として動物を展示する公園であると、定義することができるだろう。最初の近代的な動物園は、十八世紀にウィーン、マドリード、パリに、十九世紀にはロンドンとベルリンに設置された。日本では1882年に国内初の動物園として恩寵上野動物園が開園して以来、全国に公益社団法人日本動物園水族館協会の会員だけでも90の動物園が存在(2021年現在)しているという。動物を自然の生息地から引き離し、長距離を輸送し、自由が厳しく制限されるような異質の環境で飼うという事は、道徳的な見地で見れば反対すべきものであるが、現在に至っても世界中に動物園が存在しているということは、野生動物を動物園に閉じ込めることによってのみ得られる重要な利益があるということだろう。そのような重要な利益として引き合いに出されるものは四つある。娯楽、教育、科学研究、種の保存(自然保護)である。科学研究の利益については、フルタイムで研究を行う科学者を抱え真の科学研究の場となっている動物園がごく僅かしかない、また種の保存については、1979年の研究によって囚われの身の動物における遺伝的多様性の欠如が、動物園の繁殖プログラムにとって深刻な問題であることが明らかになり、多くの動物園は絶滅に瀕している動物の繁殖には寄与していない。このような事実を踏まえると、重要な利益として考えられるものは、娯楽、教育の二つに限られるだろうが、果たしてそれは機能し得るのか。

佐藤純也 Junya  Sato 

「ハーグ、9月」「The Hague, September」2022

時間の差を持って届けらることで、何がどのように変わり、また変わらないのだろうか。作品のモチーフはあるアーティストの手紙です。その手紙は1872年の9月にオランダのハーグで書かれました。今回の作品は、手紙が書かれてから150年後の同じ月にハーグの町を撮影しています。映像は記録し、再生されることで、私たちは受け取ります。手紙も書かれ、読むことで内容が再生されます。この作品が手紙の様にあたなに届くことを願っています。

アーロン・ジェント Aron Gent 

「Buckle Up」2022

「Buckle Up」は「50 Seconds」に提供した作品で、2022年の秋にシカゴからパリに向かう飛行機の中で制作されたものです。パンデミック後の生活や、世界が直面する不安定な政治情勢をどう感じているかを表現しています。 

庄司朝美 Asami Shoji 

「50粒の石榴」「50 grains of pomegranate」2022

ジョージア語では、50秒で50までを数えられない。つまずかないように、一つずつの数字を確かめるように数えていく。数を数えるという単純な言語活動ですらままならない現状は、第一言語によって支えられたアイデンティティを失うことである。しかしまた、それは新たにアイデンティティを構築しなおすことだ。見知らぬ土地でのスクラップアンドビルド。少しずつ別の人になっていく。

髙橋耕平 Kohei Takahashi 

「記念日」「anniversary」2022

記念日における家族の集合写真をモチーフとした映像作品。既に他界している両親と三姉妹、5人のファミリーポートレート(本作)は、遺影に写る女性の法要の後に動画によって撮影された。動かない二つの遺影と時々瞬きをしながら少しばかり揺れる三人の視線は、ともに画面を見つめる我々に向けられる。黎明期の写真撮影は長時間露光によるものであり、人物の場合数分間同じ姿勢で留まるのが普通であったので、ここではそれに倣って同じポーズをとり続ける。また、かつて日本に写真技術が伝来した際「写真を撮られると魂が抜かれる」という迷信があったが、ここには既に魂を抜かれた2人の人物(の写真)と、これから時間が経っていつの日にか魂が抜かれる予定の人間が、フレームの中で同居している。つまり本作は、50秒間動く写真である。

たちばなひろし Hiroshi Tachibana 

「In our windowlessness」2022

パンデミック以降、この3年間コミュニケーションは大きく変化した。フィジカルが切断された中で新しい社会との関わり方。他人との関係性のベクトルはより個人に向かいモノローグは一人称ダイアローグとなる。全ては自分の鏡であり、自らの視点から外観を不明瞭に表象する。画面を、内と外、存在と非存在、生と死、光と闇、主観と客観等、両義性を帯びた形而上学的な窓と見立て、受容とは。影響とは。邂逅とは。コミュニケーションの不可能性について考えみる。

田中和人 Kazuhito Tanaka 

「GOLD SEES  BLUE」2022

先日訪れた高知県の須崎でずっと海を撮影した。金箔を通して撮影した映像は青と黄金の光に満ちている。須崎の海では、昨年、チェコのカヌー競技のオリンピック代表選手が合宿を行ったと聞いた。海を眺めながら、その向こうにある、行ったことのない遠い地に想いを馳せた。須崎から京都に帰った日、シェアハウスに住む友人の小学2年生の息子から学校の宿題を一緒にやろうよ、と誘われた。国語や算数の宿題の後は、音楽の宿題で、鍵盤ハーモニカの練習だった。曲は「山のポルカ」という曲で、その原曲はチェコの民謡だという。彼の演奏を録音して海の映像に重ねた。ここと、知らないどこかが、繋がっている。

玉山拓郎 Takuro Tamayama 

「AWSOICD」2022

過去に制作した90分程度の映像作品を100倍速で再生した上で若干の加工が施されている。もともと随分と間延びしたような映像で、過剰な速度で再生されたところで想像を超える変化は起こらないだろうが、確かに圧縮された時間がここには存在している。昨日と今日、流れた時間が実感として同じではないように、定義された通りの時間を知覚する瞬間なんてないのかもしれない。

ナヴィッド・ヌール Navid Nuur 

「Blackhole training」2005

ブラックホールはすべての色を吸収する。そして、あなたの口もまたブラックホールです。私のブラックホールからもうひとつのブラックホールへ色(紙吹雪)を吐き出しています。

花代 + 斎藤玲児 Hanayo + Reiji Saito 

「蜻蛉のやうに 50秒」「as a mayfly  50 seconds」2022

蜻蛉のやうに

輪郭のない私を

誰も掴む事は出来ない

甫木元空 Sora Hokimoto 

「おいしょ」「Oishyo」2022

おいしょ、祖父の口癖と春を告げるタケノコ掘りをひたすらアクションで繋げました。アクションの反復にそれぞれの物語を想像してもらえたらうれしいです。

細倉真弓 Mayumi Hosokura 

「MY HOLE」2022

写真の拡大と縮小、その中にある細部の存在にいつも驚きます。海底に潜って何かを地上に持ち帰ってくるように一枚の写真と触れ合えたらと思っています。今回はその過程でみつけた一つの穴の作品です。

増本泰斗 Yasuto Masumoto 

「No war documentary」2022

2011年6月12日に広州(中国)のとある広場で開催した戦争に関連するアートプロジェクト『Blue, Red, White and Yellow』の記録写真を使った作品。タイトルは、シャンタル・アケルマンの『No Home Movie』から着想を得ている。

サトミ・マツザキ Satomi Matsuzaki 

「Do your thing」2022

キッチンの窓から見える換気扇と渦巻くもの。

間部百合 Yuri Manabe 

「(背景)」「(backdrop)」2022

背景と前景

南川史門 Shimon Minamikawa 

「無題 (AD)」「Untitled (AD)」2022

田中カズさんからの依頼で50秒の長さに編集された映像です。

森田浩彰 Hiroaki Morita 

「亀の恋 - イタロ・カルヴィーノ「パロマー」より-」「The Loves of the Tortoises - From Italo Calvino "Mr. Palomar" -」2022

イタロ·カルヴィーノの小説「パロマー」内に登場する世界を観察する人物であるパロマー氏。彼の観察眼によって捕らえられた愛し合う二匹の亀。そして、私の観察眼によって捕らえられた愛し合う二匹のトカゲ(喧嘩してるだけかも?)。この偶然の重なりからこの映像は生まれた。